「地下室の手記」を読んでみた

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ドストエフスキーの「地下室の手記」を拝読しました。これでドストエフスキーの書籍は3冊目です。
罪と罰
カラマーゾフの兄弟

本書は地上の生活から離れ20年間地下室に籠もり世の中に対する不平不満、理不尽をつらつらと200ページ以上に渡って書かれた書籍です。日本の書籍で言うと太宰治氏の人間失格に近しい書籍であると言われ、またドストエフスキーの作品を解く鍵になる作品とも言われています。

主人公は「度」がつくほどの自意識過剰で虚栄心の塊。まず何事も自分が先頭にいて、その後を他者が追従してくるという考えを持っています。自分以外の他者は愚者と考え、自身を誰よりも偉人であると考える。他者が自分に尽くして当然であると思いつつも、結局自身が他人に尽くしているという屈辱感がありその屈辱感に快感を見つけるような奇怪千万な主人公です。本書第2章で主人公は実体験を踏まえて下記のようにつらつらと述べています。

①とあるレストランで殴り合いの喧嘩を目撃した主人公は窓から突き落とされた紳士を羨ましく思い、紳士を突き落とした将校の元へ行くが、殴られもせず突き落とされもせず自分など眼中にも無いといった態度に主人公は憤慨。あくる日この将校へ目に物を見せようと肩を故意的にぶつける作戦を実行。何度か失敗するがついに肩をぶつけることに成功する。当の本人は有頂天だが、将校は全くもって肩をぶつけられたことに対して気にも留めていなかった。

②学生時代の友人シーモノフを訪ねた時、スヴェルコフの送別会が行われることを知る。送別会に招待されなかった主人公は癇癪を起こす。さらに送別会の待ち合わせ時間を教えられず何時間も待たされたことに憤慨。平手打ちをしようと送別会の場所に行くが誰もおらず失敗に終わる。

③娼婦リーザへ道を改めよと諭す。主人公の思考に感銘を受けたリーザ。そんなリーザに主人公は自分の住んでいる住所のメモを渡す。リーザが来るか来ないか心配な日々が続く。なぜなら主人公の部屋は粗末で見るからに貧窮で決して人を導ける程の人間では無いと自分自身わかっていたから。結局、リーザはやって来て主人公の醜態を見て動揺。主人公はその醜態を払拭しようと5ルーブリ札を渡すがリーザは受け取らず辞す。

前述しましたが、主人公は自分自身を中心に何事もまわる「べき」であるという考えを常に持っている自意識過剰タイプであることがよく分かるとおもいます。ここで「自意識過剰」が意味することは他人からどのように見えているのか過敏に気にすること、つまり見栄を張っているということ。客観的視線を気にする真意は、優越感、他者との同調を図ろうとしている現れだと考えます。これは人間の本能です。私が考えるに彼はただただ単純で純粋で一生懸命なのではないかと思います。故に現実世界の思想・規定に縛られことに対して嫌気がさし唯一無二の地下室に篭り自分だけの世界を作り出している。この状態であれば他者から受ける苦悩や悔恨などもないと思います。確かに、自分らしい生活をおくる考えの一つではあるでしょう。ただしこの状態を受け入れ耐え凌ぐ覚悟があればの話です。大抵の人はこの状態を耐えうる精神的強さを持ち合わせてはいないと思います。人は生物学的に群れて生きていく動物だと思うので。

参考文献

・地下室の手記(ヒョードル・ドストエフスキー 著)

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