大審問官についてのメモ(カラマーゾフの兄弟 第2部 5編より)

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カラマーゾフの兄弟で一番の見どころであり、有名な箇所でもある「大審問官」についていつも忘れるのでメモ。
この「大審問官」という節は「自由」についてイワンが自身の作った劇詩をアリョーシャに聞かせる話。

大審問官曰く、「地上にはただ3つの力のみが弱虫の反逆者たち(我々、民)の良心を彼らの幸福のために永久に征服し魅了することができる。」とのこと。

その3つとは、、、
奇跡
神秘
権威
である。

しかし、イエスは上の3つに通ずる悪魔からの問いかけを尽く拒否。
※「マタイによる福音書」の三つの誘惑より。

①神の子ならこの石をパンに変えてみよ。
→人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言葉で生きるものである。

②神の子ならここから飛び降りてみよ。
→神を試みてはならない。

③もし、わたしを拝むなら、全てをあなたに与えよう。
→主なるあなたの神を拝し、ただ神のみに仕えよ。

なぜこうも拒否する必要があるのか?
なぜなら、もしそれらの一つでもイエスが応じたら、それを見た人々は「奇跡」・「神秘」・「権威」の奴隷になってしまうから。そしてイエスはそれらの代わりに人々に「自由」を与えた。

しかし人々はその「自由」に苦しめられるのだという大審問官の鋭い意見。「自由」という言葉は聞こえが良く全てを満たしてくれそうな感じがしますが、実はそんなことはないむしろ逆であるということ。
この事についてはフランスの哲学者サルトルの下記の言葉が一番合っていると思います。

人間は自由の刑に処せられている

自由になったからといって必ずしも報われるわけではないと確かに私もそう思います。「自由」になったらなにをしたらいいでしょう?実際に想像してみてください。何もかもから開放され自由になったあなたを。おそらく何をするべきなのか分からずその場にとどまり怠慢になることが関の山です。
まだ、最初の内は良いかもしれません。ただ、やりたいことをやり尽くした後は何をすべきか考えることに追われ怠慢になっている自身を想像することは容易いと思います。

話は戻り、大審問官は、その「自由」を引き受け「権力」(権威)を奮い人々を導いているということ。つまり「自由」というものから逃げている者は、大審問官の下で奴隷として結局は従っているということ(権威の奴隷)。なぜなら人々は「神秘」・「奇跡」・「権威」に魅了されるから。

参考文献

『カラマーゾフの兄弟』の「大審問官」を読む (2)

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