「これからの「正義」の話をしよう」を読んでみた

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世の中には様々な問題であふれています。
その問題を満場一致で解決できるかどうか?となるとそれは無理な問題だと思います。何故ならばこの世の中は「多次元的社会システム」であるが故、人と人との意見の相違は必ず生じるからです。では、一体その意見の相違は具体的にどのようなところから出てくるのでしょうか?私的にそれは、宗教、思想などその人が辿ってきた人生によって違ってくると考えます。

本書では、世の中で起こった難題について「道徳」「自由」「福祉」の視点から掘り下げていく内容でした。
※因みに、難題の例として下記が挙げられてました。
・国民は国家の歴史上の過ちについて謝罪すべきかどうか。
・妊娠中絶は許されるかどうか。
・国からの命令だとしても人を殺すことは許されるのかどうか。
などなど、、、
様々な事例を本書では拝読することができ、私だったらどういう結論を出すか一つ一つ熟考しましたが、これまた本当に難しかったです。そもそも私の圧倒的な勉強不足なのが原因ですが、、、

サンデル氏の結論として、下記の考え方を支持するとのことでした。

・共通善(コミュニタリアニズム)
個人主義的な考えではなく、共同体の一員の個人とする考え方。このあたりはJJルソーの思想が強く出ていると思います。
確かにあらゆる考えは個人で出すよりも多数で出す方が正確さも質も増すと思います。このあたりは陪審定理があてはまりそうです。

他にも道徳や自由の視点で物事と向かい合っていくことはできますが、道徳と自由を代表する下記2つの主義には欠点があるとのこと。

・ベンサムの功利主義(最大多数の最大幸福)
・ミルの自由主義(リベラリズム)

功利主義(最大多数の最大幸福)では、「幸福を数値化することがそもそも厳しい」「マイノリティの意見が淘汰される」という欠点が存在する。結果論的な考え方で私はあまり好きではないです。
自由主義では、数値化の問題は解決されるものの、自由に意見ができることが意見の散漫化につながる。

結局物事の正しさ(究極の真理)の定義は前述した通り、「多次元的な社会」にいる以上、限りなく不可能に近いと思います。ですが、考え方はサンデル氏と同じく自由主義でもコミュニタリアニズムに賛成です。理由としては至極単純で個人よりも多数の方がよりよい結果を招くと考えるからです。

参考文献

・これからの「正義」の話をしよう(マイケル サンデル 著)

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