「夜と霧」を読んでみた

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「夜と霧」という、心理学者が強制収容所に収容されたお話の本を読みました。同じく収容された回りの仲間、ナチスの親衛隊、カポーなど、様々な人を心理学者という立場から見て考察されていました。

内容は、
「収容前」
「収容中」
「収容後(解放後)」
の3シーンにおいて、どのように収容者の人間の心理は変わっていくのか?ということがリアルに書かれていました。

収容前では、ユダヤ人の方々が、「まだ収容されるかどうか分からない。」「もしかしたら収容されないかもしれない。」という一種のポジティブシンキング的な思いが極限の状態から生まれることが多かったといいます。筆者はこれを「恩赦妄想」と表していました。
確かに精神的に何かに追い詰められた時、いい方向にいい方向に考える時がも往々にしてあります。ここまでの極限状態ではありませんが、例えば、「何かの発表を行う直前」や「何か重大な事を聞かされる直前」などなど。人は最後の最後まで「もしかしたら」という希望にしがみつくものだと学びました。

収容中では、まさに今の時代では考えられないような出来事が日常的に行われていました。もちろん囚われているから祝されることはないでしょうけど、やっていることはまさに人間の所業ではありませんでした。目をつぶるシーンも多かったです。人とはこんなに変わるものかと思いました。

人をここまで残酷な人間にしてしまう原因はなんだろう?
僕が思うに原因としては2つあると考えます。

1つ目は、ナチスの親衛隊に上に立つ人物、「ヒトラー」の影響力・権力の強さによるマインドコントロール。過去読んだ書籍で学んだことの一つに「絶対的な権威」を持つ人物による命令はどれほど理不尽であっても実行される確率が高いということがあります。まさにこの事を指していると思います。

2つ目は、コミュニティからの迫害を恐れている結果。ここで言うコミュニティは、ナチスの親衛隊などナチスに忠誠を誓い強制収容所の統率を図っている人たちです。この方たちが万が一にも公に収容者を助ける行為をとったらどうなるでしょう?それは間違いなくコミュニティへの裏切り行為です。なぜなら彼らはユダヤ人を滅亡しようとしているからです。これは人間の心理的、若しくは遺伝子的な情報からなるものだと思います。

収容後では、収容者達はすでに普通の生活を送ることが困難になっていました。症状は、「普通」の生活が受け入れられないというもの。収容中の生活があまりにも過酷なため、極度の離人症になった方が多かったようです。やっと地獄のような収容生活から開放されたかと思いきや、すでに自由を手に入れるには困難な精神状態に陥ってしまっていたようです。

強制収容所という場所において、極限状態の人間の心理を読み取った素晴らしい書籍でした。

最後に、この本で学んだ素晴らしい言葉があったので残しておきます。
その苦は意味のある苦か?

多くの収容者は下記のように考えていたようです。
収容所から生き凌ぐことができるのであれば、今の苦は耐えられる。
そしてこの様に考えていた収容者の多くは亡くなったようです。残酷なようですが、彼らはいつ出られるか分かりもしない希望にしがみついていたからです。分かりもしない希望にしがみつくと裏切られる機会も増えて心身ともに極度に疲れ生きる気力をなくしてしまっていたと思います。

しかし筆者含め生き延びた方たちは、逆で下記のように考えていたようです。
今の苦は意味のある苦であるか?その苦に意味があるのならば生きしのぐことができる。

皆さんは今、生活をしていて苦しいことはありますか?その苦に意味は有るでしょうか?
その苦に意味が無いと思うのならば、全く新しいことに挑戦したり、環境を変えてみることはいかがでしょう?
その苦に意味があるのならば今を精一杯頑張ってみるのはいかがでしょう?
少し勇気がいるかもしれませんがきっと新しい発見があると思います。

参考文献

夜と霧(ヴィクトール・フランクル 著)

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